今年の中秋節

今年は、「中秋月餅とシマ・おまけの猫茶碗」です。いつもの、塩卵入り月餅。本来は中秋節の時しか売られない月餅を一年中売ってる日本の中華街だけど、この卵月餅だけは中秋節限定。今年のは小ぶりでしょう? 華都飯店で買ってきたんですが、かわいいミニ月餅といった感じ。いつもは頂好食品でもっと大きいヤツを買ってたんですが、華都飯店を通りかかったら売ってたんで(例年品切れになってて、買ったのは今年が初めて)買ってみました。製造元は頂好食品ではありませんでした。味はまあまあかな? シマくんは興味津々でクンクンしてました。もちろん食べたがってもあげませんが。縁に猫が顔のぞかせているお茶碗は、H中の卒業生のお母さんがくれたもの。家庭訪問行った時、これと同じように縁に猫が載ったコーヒーカップでコーヒー出してくれて、大盛り上がりしたのを覚えていて、娘の卒業の際にプレゼントしてくれたのでした。これ、探してもなかなかないんですよ。どなたか、売ってるところ知ってる人、教えてください。

関東大震災90年と多文化映画祭

9月1日、シネマ ジャック&ベティの協力で、「横浜若葉町多文化映画祭*よこはま下町パラダイスまつり」最終日に、「残された爪跡」と「払い下げられた朝鮮人」を上映することができました。その後、1階の横浜パラダイス会館で後藤先生の横浜の震災作文に学ぶレクチャーには、15人もの方が参加してくれて、部屋がいっぱいになりました。ちなみに映画の方も100人以上入ったそうです。さらに、希望者10人で久保山墓地の朝鮮人慰霊碑にお参りに行きました。横浜市長名義の献花があって、N市長時代もあったのかね?と、ちょっぴり盛り上がりましたが。今回の多文化映画祭で、こういった機会を設けることができて、とてもよかったです。いろいろな分野の方々がつながることの大切さを、いつもに増して感じることができました。参加者の方がブログに書いてくれたのでリンクします。
『鯨とり』リバイバル よこはま若葉町多文化映画祭

鞍山から戻ってちょうど2年!

2ヶ月ぶりの更新です。先日、僕の後々任のOh先生が帰国しました。とういうことは、2年前に今ごろ、僕も鞍山での暮らしから震災4ヶ月後の日本に帰ってきたんですね。懐かしさも募ります。Oh先生とは後日お会いして、「おおいに鞍山を語ろう!」と計画しております。

卒業生が日本にやってきました。

鞍山師範学院附属高等職業技術学院(通称「高職院」3年制)の卒業生と、東京は上野で再会しました。この写真は2年前の最後の授業の時のです。6月の月曜の夜PCを開くとメールが来ていて、「先生、お元気ですか、私李です、今日本にいます、御宅訪れたいんです、出張ですが、あさって帰国です、いるうちに訪れたいんです、住所教えてもいいですか、私今上野駅の近くの旅館に住んでいます(期待通りの母語干渉「我住在离上野火车站很近的旅馆」ですから)。」とのこと。同時に、留学生のKu君からもFacebookメッセージで彼女からの伝言で、連絡して欲しいと電話番号が。さっそくメールのQQアドレスには返信したけど、いずれにせよ明日しかないじゃないか! 明日も仕事だし。日本に来るなら事前に連絡しろよ、なんで帰国間際にメールよこすんだ・・・・・・と思いますよね、普通。翌朝、電話すると(日本なのに国際電話だ)、懐かしい声が飛びこんできた。「今どこに泊まっているの?」と訊くと、よく聞き取れないので、どんな字?と訊いてヤットわかったのが「日光館」。「今日の予定は?」「ディズニーランドに行きます。先生、一緒に行ってもいいですよ。」「僕は仕事あるから(笑)。夜なら上野に行かれるから、何時に旅館に戻る?」などなど会話して、夕方6時に旅館を訪ねることに。Ku君のメッセージのおかげで連絡が取れました。

上野・黒船亭にて

ネットで検索した地図を頼りに旅館を尋ね当てると、ああ、このあたりは似たような小さな旅館が何軒も。昔は受験生なんかが泊まったのかな? 入り口にはロビーもフロントもなく民宿の風情。そこからまた「国際電話」すると、部屋から降りてきたのは懐かしい李园。上の写真のどの娘かすぐわかりますね。卒業してちょうど1年。きれいになったね。何から話していいやら・・・・・・。そこに、職場が近所の「つま」と合流して、ともかく夕食に行きましょう、何食べたい? 歩きながらいろいろ聞いているウチにだんだんわかってきました。実は彼女、3ヶ月前にすでに日本に来ていて、まっすぐ青森へ行き、そこで3ヶ月仕事して、帰国のために東京に戻り一日暇ができたということらしい。仕事は「労務管理」というので・・・・・・なんだろう? 続きは後で書きますね。 

大連の桜

昨日、skypeで久しぶりに大連在住の学生と「聊天liaotian」しました。彼女は、2年前、鞍山師範学院附属の高職院(高等職業技術学院)で教えた学生です。卒業後、大連外国語学院の本科に進学したので、今は大連に住んでいます。彼女、刁鹤Diaoheは、授業の後に質問しに来た最初の学生でした。「真面目」の前に修飾語が付く娘です。skypeでは、日本語のやり取りに不自由はなくなりました。頑張りやさんです。労働節(メーデー)の連休に、大学の近くに花見に行ったというので、桃の花かと思ったら桜でした。送られてきた写真見たら、まさにソメイヨシノのようです。大連外国語学院の新キャンパスは、大連市街から旅順に向かう途中、むしろ大連より旅順の方が近いんじゃないかという場所にあります。その近くの龙王塘longwangtangという所だそうです。僕が大連にいたのは8月と3月だし、鞍山にいたときに遊びに行ったのは4月と6月で、桜のシーズンはビミョウに外れていたので、知りませんでした。う〜ん、また大連も行きたくなった。

 

今年の桜

シネマ ジャック&ベティに「千年の愉楽」を観に行った帰り。まぁ、映画はともかく、今日は予報に反して穏やかな一日でした。今年は例年より一週間遅らせて、4月6・7日に桜祭りを開催する大岡川も、花びらが少しずつ散り始めて今が一番美しい時期かもしれませんね。赤門(東福寺)境内は、隠れた桜の名所。この門前には、かつて吉川英治が一時期住んでいたこともあり、もっと昔には、伊藤博文も訪れたという「鐵温泉」もあったんですが。


斎藤 聖 - 今日も曇りの予報が晴れ! J&Bで「千年の愉楽」観た帰り道。見ごろですね。 | Facebook

「バスに揺られる」・・・・「バスに揺れられる?」

 久々に日本語教育ネタです。現在の鞍山師範学院で日本語を教えている外教WaijiaoのOhさんからのメール。2年の教科書に「バスに揺れられる」という文があり、しかも進出語彙として「揺れる」と記載されているとのこと。自動詞の「揺れる」を受身にしたらしいのですが、こんな間違いは印刷ミスで済まされませんよねと、お怒りでした。もちろん、印刷ミスの訳もなく、執筆者の間違いです、ハイ。中国の大学で使われる教科書のひどさは、僕も最初はビックリし、困惑し、あきれ果て・・・・、最後は笑い飛ばしてブログのネタにしまくりました。ああ、あの頃が懐かしい。もう2年前になるんですね。
  
 ちなみに、先週、当時の日本人留学生Ku君とA君と東京で久しぶりに会って、とても楽しい時間を過ごしました。2年前は彼らがいてくれたおかげで、ホントに楽しく充実した生活と仕事ができたのでした。他の地域での留学経験のある彼らも、鞍山での暮らしが一番充実していたというので、こちらとしても嬉しい限り。A君は4月から社会人。早いモンです。長くお付き合いしたいと思いました。

 で、「バスに揺られる」の件。なぜ「バスに揺れられる」は間違いなのか、どう説明するのが日本語学習者にとってわかりやすいか? もちろん、文法的に説明しても鞍山師範学院の日本語学科の学生には意味がないでしょう。ただ、日本語ネイティブとして無意識に使っている語彙を、あらためて考えてみる機会をもらいましたね。「バスが揺れる」に助動詞「れる・られる」を付けたなら、たしかに「バスに揺れられる」になります。「揺れる」は自動詞だといえると思いますが、手元にある、三省堂「例解新国語辞典第6版(2003年)」を見ると、「ゆられる」という見出し語が載っていて、〈動下一〉ゆりうごかされる。〔句例〕バスに揺られる。波に揺られる。・・・と、あります。いっぽう、1973年発行の、岩波「国語辞典第2版」には「ゆられる」は載ってません。代わりに、「ゆる」が載っていて、①〔四他〕揺り動かす。ゆすぶる。揺れさせる。②〔下二自〕(古語)→ゆれる。・・・と、あり、「ゆれる」の項目を見ると、〔下一自〕ふるい動く。(ある点を中心として)前後・左右・上下などに動く。→(文)ゆる〔下二〕。・・・と、あります。で、古語辞典を見てみたら、1983年発行の角川「最新 古語辞典」には「ゆる」という語は載ってない。あれれって感じなんですが。似た言葉では「ゆるぐ」が載ってます。
 
 さて、「バスに揺られる」ですが。三省堂の例解は、自動詞・他動詞の別を表記してません。日本語の動詞に自他の明確な区別はないという立場を取っているのかもしれませんが、一般に「揺れる」は自動詞で、対応する他動詞は「揺らす」になるでしょうか。自動詞の「揺れる」を受身にして「揺れられる」にしたら、いわゆる「迷惑の受身」で、「揺れて欲しくないのに揺れちゃった」的なニュアンスでもない限りあり得ません。かといって、「バスに揺らされる」とは言いません。「バスに揺られる」は、「バスが揺れて、それにつれて乗客の体も揺さぶられている状態」を表すのでしょう。ならば「揺られる」は状態動詞と分類すべきものかもしれませんね。

 岩波によると、「ゆる」という語に下二段活用する自動詞があって、これが現代の「揺れる」につながる語となるいっぽう、四段活用の他動詞があったということになります。その、ラ行四段活用の他動詞「ゆる」未然形に受身の助動詞「る」が付けば「ゆらる」になるので、現代語になれば「ゆられる」が対応することになりますね。そういう解釈でいいのでしょうか? ただ、角川の古語辞典に載っていないし、用例もないので、どうなんでしょう?比較的新しい語なのかもしれません。「揺られる」を見出し語で載せている「例解」は、さすが新しい辞書ですね。

 バスは、別に乗客を「揺さぶっている」わけではなく、乗客も「揺さぶられている」と言いたい訳ではないでしょう。「バスが揺れる」ことから、乗客は自分の意志でなく受動的にですがバスと一緒に「揺れる」ことになります。しかも、たいていの場合、それは不快な揺れではなく、ある一定の時間、バスに乗ってどこかに出かける感じさえします。そう考えると、「バスに揺られる」という表現は、日本人のメンタリティーや文化が背景にあって生まれた、絶妙の表現かもしれませんね。実際、このニュアンスを、中国語に訳せませんよね。英語ではどう訳しますか? それこそ、直訳したら、とんでもない乱暴運転のバスに乗って、散々な目に遭っている話になってしまうでしょう。

 日本語を教えていて面白いのは、こういうところですね。その教科書、単に「揺れられる」は間違いで正しくは「揺られる」だと教えても、そもそも、「バスに揺られる」「波に揺られる」という表現で、言おうとしているニュアンスを理解させないと、上記のような、とんでもない場面を思い浮かべてしまうでしょう。言い換えれば、この「揺られる」という表現は、この二つの用例以外にはあまり使われない、使われる場面の限られる表現だと言えます。そのかわり、適切な場面で使えば、「ネイティブは、こう言います」みたいな、「日本語っぽい」表現となりますね。
 う〜ん、久しぶりに日本語の勉強して、頭が痛くなりました(^_^;)。

失われた「鉄道美」シリーズ?『南酒々井』の巻

勝手にいろんなシリーズにしてます。先月、上野駅両国駅のSL写真を紹介しました。また、先日のコメントでも総武本線の話題が出ましたね。なので今回は総武本線です。初めて走行写真を撮りに行ったのが、南酒々井(みなみしすい)でした。総武本線は千葉から佐倉まで複線ですが、成田線と分かれると単線で丘陵地帯へと入っていきます。機関区のあった佐倉は、今や当時の面影はまったくありませんが、一駅入った南酒々井駅付近は昔の面影をかなり残してはいます。ただ、「駅」と「駅舎」は鉄道文化そのものであることを、またあらためて思い知らされる現実があります。右は、駅舎の横から見たホームの写真ですが、当時の雰囲気をよく表していると思います。非電化だった当時、気動車のドアは半自動で降りるときは手で開けるということを知らなかった「都会ッコ」だった僕らにとって、美しい南酒々井駅の雰囲気は新鮮な驚きでした。鉄道文化財として保存するに値する駅だったと、今となっては残念ですね。ここが、鉄道写真撮影の原点になったといっても過言ではないかもしれません。では、南酒々井の今昔を・・・。
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駅前から見た南酒々井駅の駅舎。木造の駅舎は、当時の国鉄の標準的なタイプだったかもしれませんが、山間の小駅風の立地にピッタリはまってました。駅前にはよろず屋さんが一軒ありました。もともと乗降客はあまりいない田舎駅でしたが、今はあまりに寂しく、すさんだ雰囲気さえ漂ってますね。駅だと言われなければ、何の建物かすらわかりません。
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ホーム側から見た駅舎です。当時は跨線橋はありませんでしたから、3番のような角度の写真は撮れません。ホームの途中に線路に降りる階段があって、線路を渡って改札への通路がありました。列車が着くときは階段部分に鉄板を被せるという、これも当時の田舎の駅にはよくある形式でした。周辺の手入れの行き届いた植樹や花壇は、駅員さんたちが列車の来る合間(勤務時間中)に丹誠込めて世話していたのでしょう。それにしても、今の駅周辺の寂れようといったら、目を覆うばかり・・・。
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当時はタブレットを交換しながら単線を走る「通票閉塞」方式。信号はもちろん腕木信号機。駅舎のホーム側に信号てこがありました。ここで、ワイヤーケーブルでつながる出発信号・場内信号・通過信号・遠方信号の4種の信号機を手動で動かしてたわけです。土台のコンクリートの残骸が、当時を偲ぶ唯一の「遺跡」です。写真7は駅の榎戸(えのきど)側、下り出発信号機と通過信号機。白黒写真は1969年7月15日撮影。カラー写真は2007年冬撮影。
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