フロムA(Anshan鞍山)ならぬ、フロムエー(ひめ)愛媛

 4月末、書籍小包が届いた。差出人は知らない人で住所は愛媛。それ以来、いろいろ考えさせられ、ある種のやり場のない怒りとも(せつないとも)いうべき気分になった。迷ったけど書いておこうと思いました。その封筒には一冊の本とワープロで印字されたA4用紙が1枚。以下、その文面。(人名は伏せ字)
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突然ですが、私は〇〇の兄です。私の自分史が完成しましたので、お送りさせていただきます。とてもユニークで、面白い内容が詰まっています。東京でのサイン会でもかなり売れ、新幹線の中でも売れました。新横浜・品川間でも売れ、驚いております。定価は1000円、消費税はサービスします。送料とあわせて1300円になります。なお、不要のときは、書籍小包(300円)で返送してください。また、感想文をお送りいただければ第2巻(来年8月28日発刊予定)に掲載します。なお、〇〇には、私から直接買ったとは言わないで、有隣堂三省堂八重洲ブックセンターなどで買ったと言ってください。それらの書店には扱ってくれるように頼んであります。送金方法 ゆうちょ銀行 総合口座××××× また、定額小為替なども使えますが、ゆうちょ銀行の口座を利用すれば手数料は不要です。
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 自費出版した本を勝手に「進呈」してくるんだったらありがちな話だが、頼んでもないのに「売ってくれる」とは! これ、「送りつけ商法」そのものではないか。この〇〇さんは、30年も前に同じ職場だった人で、年賀状のやり取りはしているけど、そのお兄さんなどもちろん知らない。〇〇さんに電話してみたら、やっぱり他の人からも同じような問い合わせがあったそうで、恐縮して「叱っておきますから、着払いで送り返してやってください」とのこと。もちろん、自分の友人の住所を兄に教えたことはないとのこと。先日泊まりに来たので、そのときに年賀状でも見たのかなぁ、と言う。文面の「〇〇には、私から買ったと言わないで云々」というのは、自分が弟のところから住所を盗み見たことがバレるから、ということだったのですね。本をパラパラめくってみると・・・、みなさん想像つくかもしれませんね。教師です、この人。愛媛で英語の高校教師していた人で、自分のやって来たことをとくとくと語っているばかりか、教えた生徒の名簿まで載っている。ちょっと調べたら、他にも英語教育法の本などを出しているようで、また切手収集で展示会やったり、地元ではちょっとした「名士」なのかもしれません。そういう人が・・・もう、嫌〜な気分になってしまった。
 出版元は地元の出版社のようなので、編集担当の方にもこの事実を伝えた方がよいと考え、電話しました。やはりビックリして恐縮していました。まったく許される行為ではないので、出版社からも著者に連絡し対応するとのこと。たしかに、中身の詰まった、つまり相当長い時間かかって編集したであろう本。編集者の言うには、一人ひとり卒業生に連絡を取って、承諾を得られた人だけ名前を載せたのだとか。スゴイ労力! 文字通りの「労作」であるからね、気持ちはわかるんですけど。でも、関係ない人にとっては「お金出して買う本」じゃありません! 本人は「東京でのサイン会でもかなり売れ」たと言っているので、どういう会かよく知りませんが、一定の「買ってくれる人」がいるようです。
 ここで、気になったのが「価格」。見たところ、どう考えても1000円で出来る本じゃない。その辺は出版社にも聞かなかったけど、おそらく著者が数十万から百万の単位の負担をしているんじゃないだろうか? で、同窓会なんか「関係者」なら1000円だったら買うでしょう。研究者の人が論文を本にしたら6000円でできるかどうか? そのくらいの分量の本ですよ。みなさん1000円だから買ってくれたんですよね、きっと。6000円だったら買わない。僕だって、知り合いの人が本出して、1000円だったら買ってあげます!間違いなく。
 勘違いしちゃったんですね、みんなが読みたがる本だと。だから、もっと多くの人に読せてあげよう、弟の友達にも売ってあげよう、って。あぁ、せつないんだなぁ。その著者の人に対する怒り(もちろんあるが)というより、なんか、やり場のない苛立ちを感じてしまう。そういう勘違いは、自分を含めて誰にでもあり得る。いや、むしろ、ありがち。「福祉」的な、あるいは「優しさと思いやり」という観点から言ったら、そのまま「勘違いさせておいてあげる」のが正しいのかもしれない。だって、自分もあと少ししたらそういう年齢になる。優しく「勘違い」させてもらいたい(笑)、ですよね。でも、それって、どうなの?
 H中学校時代、体育祭や文化祭なんかで、「俺たちはやり遂げたぁ!」って、生徒にある意味「勘違いさせてあげる」ということをみんなでやってきた。これ、今はやりの言葉で言うと、「自己肯定感」の涵養(笑)。だけどねぇ、こっちが「勘違い」させてもらう立場になっていくって、せつない。やっぱり、きっぱり否定したい。でも、否定しきれないところが・・・(笑)。せいぜい、「もって他山の石とす」かな?
 以上、フロム・エー。エヒメからの手紙、でした。