懐かしの「鉄道美」写真

昨年末の記事にあるように、中学・高校時代に汽車の写真を撮って「鉄道美」を追究した仲間の家に行ったので、この年末年始は記憶の糸をたどる作業に費やされてます。これらの写真のネガはまとめてしまってあったのだけど、あらためて「タイムライン」に整理し直そうとすると、記憶があやふやなシーンの多いこと。ネガケースなどに日付がちゃんと書いてあるのもあるけど、何も書いてないのもあり、ネガを透かしてみてはああだこうだと記憶を巡らしてました。それで、正月早々ケンコーのフィルムスキャナーを購入。やってみると、カラーは退色してカビで傷んでるのも多く、早速GIMPをダウンロードして修正を試みてます。まぁ、キリのないこと! これ、みんな修正してウェブアルバムなんかに整理しようと思ったら一年以上かかりそうです。これまで、気が向いた順にFacebookにアップしてますので、そちらもご覧ください。前回の記事「岩出山にて」に書いた、思い出に残る1シーン、陸羽東線・西岩出山と、山陰本線・五十猛(白黒のみ)。それから、花輪線の龍が森も修正できたのでアップしてみました。 
〔上〕:陸羽東線 岩出山〜西岩出山(現・有備館〜上野目)、江合川鉄橋を朝日を浴びて行くC58。1970年11月3日撮影。あらためて調べてみたら、陸羽東線には70年8月・70年11月・71年3月・71年11月・72年7月・72年12月の6回のべ8日も行ってました。イヤー、そんなに行ってたか。当然、忘れがたいシーンももっとも多く、いい写真も多いんですが、その「はまる」きっかけになったシーンがこれ、ということです。この日は天気にも恵まれ、最高の一日になりました。
〔中〕:山陰本線 五十猛〜仁万、白砂青松の海岸を行くC57旅客列車。広島に住む幼なじみを訪ねた時、僕の趣味につき合わせて一緒に行ったときのもの。初めて山陰に行ったときのことで、宍道で仲間のK君と合流したものの、宍道湖畔にいい撮影ポイントがなく、暑くてやる気なくした後のこと。国土地理院5万分の一の地図で当たりをつけていた「田儀」に行こうにも各停列車がなく、当時の下りの急行「出雲」が上りの「出雲」と交換(すれ違う)ために五十猛に停車することから、第二希望的に期待せずに行ってみた行ってみたら・・・。鉄道雑誌でも見たことのない撮影ポイントを自分で発見したうれしさは格別。「白砂青松」という四字熟語はこういうことをいうのかと納得した次第。ディーゼルカーが走っても絵になる光景で、その後山陰には、汽車がなくなった後も何度も行き、卒論のテーマも「柿本人麻呂・石見関係歌考」として、フィールドワークもしました。それらのきっかけが、この一枚。1971年8月撮影。
〔下〕:花輪線 岩手松尾〜龍が森の8620(ハチロク)後部補機(後押し機関車)付き列車。バックは岩手山ですね。ここも現在の駅名で言うと、松尾八幡平安比高原ということになる。あの「龍が森」が安比高原だって? 冗談でしょう・・・って感じです。安比高原には20年ほど前にスキーに行ったことがありますが、何の面影もなくガッカリしたものです。当時は駅と言っても信号所が格上げになった程度のもので、ホームはあるけど「駅前」が存在しない・・・つまり乗降客なんかいない、列車交換(すれ違い)のためにある駅。降りるのは僕らのような鉄道ファンだけだった。ハチロクは、形式名に「C」とか「D」とか付く前の大正時代製造の機関車で、一番好きな機関車でした。1970年8月撮影。